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フォート (コロンボ) : ウィキペディア日本語版
フォート (コロンボ)

フォート(、、)は、スリランカの都市コロンボの一地域。市の中心地域であり、 (CSE) やワールド・トレード・センターといった商業・金融施設が集中している。また、の本店もこの地区に位置している。フォート地区の海岸沿いには、イギリス統治下の1859年に当時のセイロン総督により作られたゴール・フェイス・グリーンという緑地帯が広がっている。地域にはその他にも、、ホテル、政府機関それにオフィスが建ち並んでいる。
== 歴史 ==

Kolonthota(ケラニ川の港の意)として知られていたこの地に重要な変化が起こるのは16世紀初頭である。この地域はポルトガルの勢力が最初に上陸した場所であり、彼らのこの島における交易拠点の一つとなった。ポルトガルはこの地に要塞(フォート)を建築したが、1656年にはオランダにより征服され、今度は彼らの貿易と資源を守るために用いられるようになった。コロンボがこの島におけるオランダ統治の中心地域として発展していくに従い、海と内陸からの脅威に対抗するため要塞も強化されていった。オランダはポルトガル時代に建てられた要塞を一部取り壊し、湖と海に囲まれた土地という条件を生かした強固な要塞へと再構築を行った。その結果、この要塞はオランダと内陸のシンハラ王国との衝突において重要な軍事基地となり、幾度もの包囲においても陥落を免れた。
1815年のにおいて島の統治がオランダからイギリスに移ると、コロンボはその首都とされ、フォート地区が統治の中心地となった〔http://www.lankainfo.com/travelinformation/colombofort.htm〕。その後長らく直接的な軍事的脅威が無かったことから、1870年には都市開発の妨げになるとして要塞は取り壊された。オランダ時代の建築物もまた多くが取り壊され、イギリスの植民地統治にあった建築物へと置き換えられた〔http://www.wesrilanka.net/colombo_fort.html〕。
要塞(フォート)は取り壊されたもののフォートという呼び名は残り、以後もこの地区はその名で呼ばれることとなる。イギリス統治の中心地として、また後には自治の高まりに伴いやといった多くの建築物がフォート地区に建築された。行政の中心であることから、フォート地区は経済の中心地としても発展していった。独立後も政府中枢の多くは引き続きフォート地区に位置していた。しかし、行政機構の拡大に伴い、1980年代に入り政府は省庁の新首都スリジャヤワルダナプラコッテへの移転を始めた。移転の手始めとして、まず旧国家評議会にて開かれていた国会がスリジャヤワルダナプラコッテに移された。だが、政府機関の完全な移転は2012年現在完了しておらず、まだ多くの重要な機関がこの地に残されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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